前回の「春にクマを追う【前篇】吹雪に見舞われ、フクジュソウに癒され、クマの穴に入る。」に引き続き、春にクマを追うシリーズの後篇となります。
雪が融ける、気が焦る
季節は3月の終わり際、みるみる雪が融け、焦る気持ちが強くなります。師匠はだいぶ体がきつそうです。そもそも師匠は「足跡1つでも踏めれば良い。クマを撃つのにはまず3年かかる」と今年の春グマに対しての期待値が低い傾向にありました。対照に僕は「なんとしても今年の春にクマを獲りたい」と口癖のように言っており、まさに師匠と対極。
師匠からすると「この若造は何を生意気言っとるんだ」という感じだったことでしょう。挙句の果てには師匠に対して「春グマのために名前だけでも貸してくれ」という始末。いやはや、生意気です。僕が春にこだわるのにはしっかりと理由はあるのですが、それはまた近いうちに。

一日二か所攻め
この日は午前と午後でふたつの山に行きましたが、ヒグマの痕跡はとくにありません。ただ、コクワやヤマブドウの濃い場所を見つけたり、シカのつき場を見つけたりと、山の状況を新たに知ることができました。


初めての足跡
3月の終わり際、師匠の足が限界(長靴が合わないらしく爪が変色)を迎えてしまいます。若い僕でも体力がごっそり奪われる雪山で、50歳以上歳の離れた師匠を連れ回しているわけですから、それはそれは相当な負担だと思います。この日は“シカの有害駆除”ということで、師匠には休んでもらい一人で山に入ります。
鉄砲をもって5カ月、少しずつ“獲物がつきやすい地形”というのがわかってきたような気がします。具体的には、ダラッとした地形。具体的と言いながら抽象的な表現をしていることは置いておいて、そういう地形を目標に道なき道を歩いていきます。
歩き始めて2時間程経ったでしょうか、さすがに僕も「ここまで見れないものか…。」とほんの少し諦めのようなものが心を過りました。一人で居るからこそ繰り広げられる自問自答。これでいいのか?このままおわるのか?自分には向いてないのか?連日雪山を歩いて足はパンパン、銃をずっと背負っているため右肩は悲鳴をあげています。そんな自分との戦いを繰り広げながら、トドマツ林を歩いていたその時、視界に人工的な構造物が目に入ります。道もないような山奥に、人の生活の跡が生々しく残っています。あまり詳しく書きすぎると、地域が特定されてしまいそうなので一枚の写真だけで勘弁してください。

少し気味が悪いですが、山奥にこんな構造物を建てる、人間の努力に感動を覚えます。僕は信心深いタイプでないですが、神や仏のようなものを全く信じていないわけではありません。ただ、この時は何かにすがりたいという気持ちがあったのでしょう。この構造物に向かって「どうかクマに出会えますように」と言って手をパンパンと叩きました。別にこの構造物に何かスピリチュアルなものを感じたわけでもないですし、中はシカの糞で埋め尽くされ、お世辞にも“神聖”な雰囲気とは言えません。手を叩いたのもただの気分です。
構造物を後にして、またトドマツ林の中を歩き始めます。あたりのトドマツには古い爪跡が残り、ここがクマの生息地であることを山が主張しているように感じます。歩き始めて5分程経ったでしょうか。
視界の左隅、トドマツの根元に違和感を覚えます。
それはまるで“スノーシュー”や“輪かんじき”で歩いた跡のようで、人が歩いた跡にしか見えません。でもどうにも人が歩いたとは考え難い。ただ、ハッキリとクマとわかるわけでもなく、ぼやけた大きな輪郭だけが点々と続いていきます。
足跡を追い続けて5分ほど経過したでしょうか、日当たりの悪い雪面の上で疑いが確信に変わります。

心臓がバクバクと音を立て、脈拍が上がるのを感じます。やっとやっと見つけた足跡です。しかも一人で。恐怖と興奮がゴチャゴチャで冷静さを失います。本来、痕跡はスケールを入れて写真を撮るべきですが、動揺してそれどころではありませんでした。

少しボケているとはいえ、爪痕の間隔からそれなりに大きい足跡だと推測されます。恐らくここ2~3日以内のものでしょう。まるで人の歩いた跡のように見えたのは、クマが前足と後ろ足を被せて歩いていたためでしょう。そのまま足跡の追跡を開始します。
足跡の古さから、もう少なくとも足跡の延長線上にはクマが居ないだろう、と頭ではわかっていますがなかなか足が進みません。ただ、怖いもの見たさと言いますか、この先にどんな景色が広がるんだろうか?といった好奇心が自分を駆り立てます。

しかし、それも長くは続きませんでした。トドマツ林を抜けて目の前に広がったのは残雪の少ない南斜面。寸前まで確かに足跡を追えていましたが、下った先は笹薮。何かがずりながら降りて行った跡はありますが、もうそれがシカなのかクマなのか、確認する気力が湧きません。

クマは30cmの笹があれば身を隠せると言いますし、もし万が一何かあった場合、自分一人の問題ではなくなってしまいます。結局、笹薮を大きく迂回し帰路につきました。

師匠と見切る
帰宅後、師匠に足跡の写真を印刷して持っていき、翌日足跡周辺を見切ることになりました。
「見切り」というのは、簡単に説明すると獲物がどこへ向かったか予測を立てるための“下調べ”を指します(僕の認識では)。やり方としては、痕跡を中心にグルっと円を描き足跡を捜索し、どこかで足跡が抜けて(横切って)いればまたそこを中心に見切り直し、抜けていなければその囲いの中に獲物が居ると想定して囲いを狭めていくということになります。この見切りを行うことで、獲物がどこに向かったか、どこについているかをある程度予測することができます。

しかし、この日はあいにくの雨。気温が高くみるみる雪が融かされていきます。足跡はかなりボケてしまい、雨により人の足取りも重くなります。師匠との見切りの結果、クマは沢の中に入り恐らく川下に抜けたのではないか。という結論に至りました。
実際、川下には沢からスノーシューで上がったような跡がありましたが、茶色くぼやけた輪郭が残っているだけで、爪痕もなにも確認できません。もう少し綿密に調べたい気持ちはありましたが、雨も降り沢の水かさも増えてきたため、それ以上の追跡は諦めました。


四月病
先日の足跡の一件から、しばらく体調不良が続きます。この日も、山に入ったは良いがいまいち身体が重く、すぐに変な汗をかいてしまいます。正直、足を進めるのに必死で周りを見る余裕もありません。朝は寒く日が出ると暑い。そんな寒暖差の大きい日が続いたので身体がビックリしているのでしょう。
師匠から「若くたって疲れは溜まる。無理せず休め」と言われ、この日は早々に山を下りてきました。

クマに撒かれる
ある朝のこと。「裏庭をクマが横切った」との通報を受け、現場へ急行します。目撃者の情報によると、クマを目撃したのが朝7時、僕と師匠が現場へ着いたのが8時半、まだ追える距離に居る可能性があります。早速師匠と追い始めますが…。

結論から言うと、僕らが山に登った時には既に抜けられていた or 僕らが気づかないうちに横を通り過ぎて抜けていた。という結末に終わりました。
上の図の青いルートが僕の通った道ですが、僕なんかは一度クマの足跡に気付かずスルーしてしまっています。言い訳するわけではありませんが、参考程度に僕がスルーしてしまった足跡を載せさせてもらいます。

んね!!!???気づかないでしょ!?
これには本当に驚きました。“足跡の追跡が容易な残雪期”とは言われていますが、結局はケースバイケース、雪質やクマの体重、クマの警戒心によって痕跡の判別難易度は大きく変わることを改めて認識しました。

上の画像では、足跡の近くに枝を刺してわかりやすくしてあります。場所によっては、本当に消えたように足跡が見えなくなるため、顔を地面につけるようにして足跡を探し追っていきます。


ただ、いくら四つ足のクマとは言えズボッと落ちるときは落ちるようです。稀に現れるチャンスサインを頼りに追えるとこまで追っていきます。
するとどうでしょう。人の足跡にぶつかるではありませんか。といってもこんなところを歩いた人は僕ら以外居ないので、僕らの足跡であることは明解ですが、僕らが気づかなかっただけなのか、それとも僕らが通った後にクマがやってきたのか、真相はわかりません。
しばらく足跡を追い続けましたが、次第に笹藪が深くなり、やがて一切も雪の無い、完全な南斜面の笹薮に抜けていってしまいました。

冬の終わり
クマを追いきれない日々が続き、自分の中で、クマに対する認識が甘かったことを自覚します。そして、山の懐の深さも。いくら市街地周辺の山とは言え、街から1km入ればもうそこは彼らの生活圏です。

シカの角も落ち始め、今まで地面の大半を占めていた雪が、みるみるうちに無くなっていきます。

雪につぶされていた笹薮も、だいぶ起き上がり藪を漕ぐとマダニがつくようになりました。



キタコブシがいの一番に花を咲かせ、茶色と緑の二色の木々に白の斑点が加わります。

笹薮が起き上がってからは、クマがニホンザリガニを掘った痕跡を探すため、沢をメインに歩きます。もう雪に足がとられることはなく、同じ1kmでもかかる時間も体への負担もだいぶ軽くなります。


そして5月初旬、早い所では林道から完全に雪が消え去りました。


そして最終章へ
春にクマを追うシリーズ後篇、いかがでしたでしょうか。といっても、見られたのはクマの足跡のみで、なかなか中身のない話かもしれません。次、最終章ではヒグマの写真なんかもお付けできるかと思います。ただ、振興局(北海道)に日報として日々の詳細や捕獲シチュエーションの詳細も報告しているため、あまり詳しく書きすぎるとすぐ特定されてしまいます。いずれは実名公開してブログを運営しても良いかなと思っていますが、まだしばらくは“むっちりーの”として投稿していきたいので、その点ご了承ください。それでは、また次回!