本記事は「僕」の話です。僕がなぜ駆除を始めるに至ったか。それがメインテーマとなっています。文字通り”自分語り”ですが、どうぞお付き合いのほどよろしくお願いします。
動物が大好き
前提として、僕は動物が大好きです。これだけは絶対に譲れません。動物が嫌いだから駆除してやるとかそんな考えは一切持っていません。
僕はこんな言い方が適切かはわかりませんが都会で生まれ都会で育ちました。僕の幼少期の自然と言えば通学路の生垣や、都市公園の人工河川、海釣り公園でした。僕はとにかく生き物が大好きで動物園やペットショップに足しげく通ったのを今でも覚えています。高校も愛玩動物が学べる学校へ進学し、愛玩動物飼養管理士なんていう資格まで取得しました。高校周辺は猫やヌートリアのロードキルが非常に多く、肉片で道路が真っ赤に染まることもありました。当時の僕は「死体を見つけたら絶対に埋める」というポリシーがあったので、どんな状態の死体だろうと片づけていました。別にこれは美談でなくて、埋める場所の地権者に許可を取っていたわけではありませんし、今思うと100%正しい行いではなかったなと思います。当時の僕は法律のホの字も考えずに生きていたチャランポランタンでしたので、ただ死ぬのが冷たいアスファルトの上だなんてかわいそうだという想いから行動していました。

可愛がっていた野良猫が、翌日何十台もの車に轢かれペラペラの毛皮になっている。なんて出来事もあったりして、当時の僕は動物愛護の精神がだいぶ強かったと思います。全校生徒を前に犬猫の殺処分禁止や酪農業への批判を訴えたこともありました。もちろん、ゲリラ的にではなく公式な発表として。
自分を知る・自然を知る
自身の経験から、「動物と人」への考え方や価値観が凝り固まっていた僕ですが、紆余曲折あり愛玩動物ではなく野生動物について学ぶことのできる大学へ通うことになりました。そして海外へ行き、日本とは、いえ、自分とは違う多種多様な価値観や考え方に触れました。さらに学科が生態学や野生動物管理学を専攻するような学科だったので、生態系のこと、生物多様性のこと、外来種のこと、野生動物管理のこと、そして野生動物と人の軋轢のこと、そういった各分野の基礎を学びました。また、野生動物に関わる中で様々な立場の多様な人々から、多数の批判の声が集まることも実感しました。

大学生活の後半は、その多くをフィールドで過ごし、「偉大」と形容するのが相応しいような大自然を目にします。さらに、人生で初めて山菜や川魚などの山の恵みを味わい、深く感動しました。

当時、イキリシティボーイだった僕は自然に生える草や川魚など口にしたことがなく、自然の恵み?と言えばおじいちゃんの手作り野菜くらいでした。そんな僕が、初めてヤマメの塩焼きを口にしたときのあの感動を、初めてコクワを口にしたときのあの感動を、初めてタラの芽の天ぷらを口にしたときのあの感動を、わかっていただけますでしょうか。自然とはなんとも偉大で、決して失われてはいけないものだと強く感じました。

しかし、そんな自然が失われつつある、または既に失われてしまった。そんな光景もたくさん目にしました。シカの高密度化による下層植生の衰退、ノネコによる固有種の食害、野犬と化した元飼い犬たち、アライグマにより数を減らした鳥類・両生類。挙げたらきりがありません。そしてそれらのほぼ全ての現象は、人間に起因するものでした。動物たちは加害者でありながらも被害者でした。

また、業種は様々ですが、動物と人の境界の最前線で働く方々に出会い、様々な想いや考え方を知りました。そして、現場を知らずに感情論だけで批判をしていた高校生の自分がとても恥ずかしく思えました。現場を知るなんてそう簡単に出来る事ではありませんから、高校生の僕にはどうしようもなかったことかもしれません。しかし、犬猫の殺処分を批判するときに、現場でガスのスイッチを押す人の気持ちを考えたことがあるでしょうか。犬猫の殺処分の裏側に、狂犬病や固有種の保全といった背景があることを知っていたでしょうか。僕は知りませんでした。知らずに数字だけを見て批判していました。
そして駆除の道へ
そういった背景のもと、僕は「現場を知りたい」という気持ちが強くなりました。机の上ではわからない、教科書からは知りえない、当事者達の生の声、感情を知りたいと思ったのです。僕は20歳になると同時に銃とわなの免許を取得していたので、まずは相棒の伝手を頼り、アライグマの被害に悩む酪農家さんでアライグマの有害駆除を始めました。役所へ出す書類から、捕獲法や処理法まで何もかも手探りで、相棒と二人で始めました。

しかし、アライグマはもともと愛玩用に輸入された動物なだけあって、精神的な痛みはなんとも心に深く刺さるものでした。その個体に罪はないからです。たしかに、酪農家さんの被害として、嫌気性発酵の飼料に穴を開けられ発酵が止まる、牛の乳房に咬みつきケガをさせる、そういった被害はあります。日本固有の両生類・爬虫類や鳥類が捕食される。そういった生態系への被害もあります。しかし、種としてではなく個のアライグマからすれば、生きるために活動を行ってきた結果に過ぎません。「今この一頭を駆除すれば、この個体から生まれるであろう数十頭が同じ運命を辿ることはない」「人間が撒いた種だから、人間が落とし前をつけるべきだ」そう信じて駆除を続けました。また、酪農家さんの「ありがとう。本当に助かっている」という言葉も大きな支えとなりました。

初めて捕獲した1頭目から僕は、アライグマの肉を食べるようにしました。もともと美味しいという噂を聞いていたというのもありますが、食べることで少しでも罪悪感を消したいという気持ちもあったと思います。学生時だけで、食したアライグマの数は25頭に及びました。

アライグマを駆除する毎日
そんなこんなで、大学を卒業し職に就いた僕ですが、待っていたのはアライグマの止め刺しを行う毎日でした。流石に全頭捌くことはできず、有効利用もできません。連絡が来たら電気槍を持って現場へ出動する。そんな日々が続きました。地域柄というのでしょうか、この地域ではアライグマを獲ったら回収と止め刺しをやってもらうことが定着しているので、農家さんに感謝されることもありません。
まだアライグマを捕まえてすぐ連絡してくれる農家さんは良い方です。僕がこの職に就いてから4カ月程経ったある日、ある農家さんのワナにアライグマがかかっているのを偶然見つけ、止め刺しを行った際に「あ~放っておいてもよかったぞ~」と言われたことがありました。ワナの中のアライグマは数日水分を獲っていない様子で、僕に気を配る余裕もなく、ただただ舌を出してハァハァ喘ぎながらできるだけ体が日に当たらないように箱罠の隅に丸まっている状態でした。後日、別件でこの農家さんと話をした際に、こんなことを言われました。「いやぁ~、夏は(アライグマの処置が)楽で良いわ!」この農家さんが言うには夏はアライグマが獲れても放っておけば熱中症や脱水で死亡するため、処分が楽で良いというのです。僕はこの一文にガッツリと心のエネルギーを持っていかれました。
たしかに農家さんにとってはアライグマほど厄介な害獣は居ないでしょう。どこからでも入り込み、収穫間際の作物から荒らしていく。美味しい部分だけ食し、すぐ次の作物へ手を出す。大切に育てた作物を荒らしていく憎き害獣です。実際に、2020年時点の道内のアライグマによる農業被害額は1億4200万円に及びます。そしてこの年のアライグマの捕獲数は約2万6千頭に及びます。
マンホールを閉じる人
僕はやりたくてこの職に就いています。その厳しさも心得ているつもりです。しかし、やはりどうしても「辛い」と感じてしまう場面があります。仕事について4カ月、止め刺しをおこなったアライグマの頭数は90頭を超え、シカの駆除数は10頭を超えました。ヒグマの駆除に立ち会う場面も何回かありました。自分で選択した道で、一切の後悔はしていません。しかし、布団に入ると様々な光景がフラッシュバックします。アライグマの怯えた眼、シカの断末魔の叫び、全力で檻を揺らすヒグマの唸り声と金属音。

辛いと感じることはありますが、やめたいとは思いません。前述した通り、僕は今の状況に満足していますし、望んだ通りの道だからです。ただ、今後続けていく中で、どうしても心が揺らぎそうな場面がある気がしています。今は心身共に健康ですが、そうでなくなった場合、強い意志を保ち続けることができるのか、何か芯のようなものを持ちたいと考えるようになりました。
そんな時に出会った言葉が「マンホールに落ちた人を助けた者は英雄と呼ばれるが、人知れずマンホールを閉じた人も、同様に立派である」という言葉でした。正確には人に言われた言葉ですが、出典不明で調べても出てきませんでした。僕はこの言葉にとても感銘を受けました。僕たちのように駆除を行う人は、決して英雄にはなりません。例え人を襲うクマを駆除したとしても、必ずどこかから批判の声が挙がります。きっと高校生の僕が、アライグマに電気槍を突き付ける今の僕を見たら同じように批判するでしょう。ネット記事のコメント欄を見ても一目瞭然です。しかし、”なくてはならない仕事”であると僕は思います。少なくとも、人間が文化的な生活を続ける以上人と野生動物の軋轢も続きます。そして人口が減少し、地方のスポンジ化が進んでいる昨今、確実に人と動物の軋轢は拡大・深刻化します。そんな未来を想像しながら、僕はマンホールを閉じる人でありたいと思うようになりました。
狩猟との出会い
ここまで淡々と、駆除の話をしてきましたが、僕はこのブログで主に狩猟のことを記事にしています。そして、自身を新米猟師と表現しています。僕は今まで駆除は行っても狩猟をしたことがありませんでした。狩猟というのは、10月1日から1月31日まで(北海道の場合)の間、法定で定められた46種の鳥獣を捕獲することを指します。狩猟は遥か昔から続く文化で、毛皮や肉の採取、農地の防衛や娯楽などの目的を持ちます。といっても、現代では農地の防衛は有害駆除と名を変えて通年できるようになったので、現代の”狩猟”という言葉が指すのはそれ以外の3つの目的でしょう。
僕はこの地域へ来てから、たくさんの猟師さんと関わりました。そして、猟師さんの多くは自分なりの信念や考え方を持って動物に向き合っています。動物だけではありません、山や自然に対しても深い畏敬の念を抱き、人間も自然の一部であることを度々口にします。もちろん全員がそうではありませんが、ご高齢な猟師さんほどそういった考えの方が多いです。「動物を撃つだけならただの殺戮者だ、食べて初めて猟師と言える」これは僕に射撃を教えてくれた教習射撃の講師の方の言葉です。僕は狩猟という世界を通じてもっと山の事、自然の事、野生動物の事を知りたいと思い今に至っています。そして縁あって、北海道で春グマ駆除がまだ行われていた時代に、少人数の忍び猟スタイルでクマを獲っていた師匠と出会いました。
このブログを通じて
これだけアライグマについて述べていますが、僕のメインの仕事はヒグマ対応です。そしてヒグマやアライグマ以外にもエゾシカやカラスの駆除も含まれます。野生動物と人の境界が曖昧になり、問題が顕在化する昨今。狩猟者(駆除も含む)への風当たりは変わらず強いままです。叩かれて当然だなというハンターもちらほら居ますが…。安全圏から批判を行うのはとてもとても簡単です。かつての自分もそうでした。だからこそ、最前線では何が起きているのか、そこで活動する人はどんな想いなのか、普段聞けない知り得ないようなことをこのブログで発信できたらと思っています。といっても、僕のように最前線で活動している人は全国にたくさん居ますし、メディアに出たり本を出版したりしている人も多いです。「僕は僕なりの...」と考えてはいますが、まだ影響力はゼロ。技術も習熟していない。文字通り駆け出しへっぽこハンターなのです。なので、僕が大きくなるまでは、このブログを僕の成長記だと思って暖かい目で見守っていただけると、とても嬉しいです。