皆さんは山の中、あるいは川、そういった場所で不思議な体験をしたことがありますか?僕はあります。そして今回は田中康弘さん、山を舞台にした小話集『山怪』について紹介していきたいと思います。
『山怪 山人が語る不思議な話』とは
この本は山と渓谷社から発行されており、著者が実際に阿仁のマタギたちや、各地の猟師、山で働き暮らす人びとからから、山の奇妙で恐ろしい体験談について取材した成果をまとめたものです。シリーズ化しており、現在は参巻まで出ています。
怪談と言っても、全てが怖い話というわけではなく、どちらかというと不思議な話、奇妙な話の方が多いかもしれません。しかし、収録してある話の中には、頭の裏筋がゾワゾワッとするような話も含まれています。直接的な表現は少ないものの、自分の記憶や体験談と絶妙にリンクして怖さを感じる、そんな一冊です。
導入
「日本の山には何かがいる。生物なのか非生物なのか、固体なのか気体なのか、見えるのか見えないのか。まったくもってはっきりとはしないが、何かがいる。その何かは、古今東西さまざまな形で現れ、老若男女を脅かす。誰もが存在を認めているが、それが何かは誰にも分からない。敢えてその名を問われれば、山怪と答えるしかないのである。」
田中康弘『山怪 山人が語る不思議な話』2015 P3

この本の導入です。日本の山には何かがいる。そのことは共通認識されており、各地の様々な人が同じような体験をしています。そして、そのような体験談は本来、子へ孫へ語り継がれ、時には教訓として、時には尾ひれを付け怪談として、脈々と地域へ受け継がれていきます。しかし、時代が進歩し、若者の都市進出や里山集落の高齢化が進むにつれて、そういった「語り」は姿を消しつつあります。
著者の田中康弘さんは、もともと狩猟関係の取材で秋田県・阿仁地方の阿仁マタギの話を聞くことが多く、こういった「語り」が絶滅しつつあることに危機感を覚えます。そして、東北地方をはじめとした、全国各地で絶滅危惧種となっている山の話の取材を始めました。
印象に残ったエピソード
話を聞いていると、山で怪異に会う人と会わない人がはっきり分かれることに気がつく。これはいわゆる心霊現象でも同じことがよく言われているようだが、見える人と見えない人がいるらしい。
~中略~
「おらは無いけど、そういえば従兄弟には妙なことがあったなあ」進さんの従兄弟が、近所お人と打当集落中村の道を森吉山方面に向かっている時のことだ。狭い道なので一列になって歩いていた。進さんの従兄弟は知り合いの後ろを歩いている。何気なく前の人越しに先のほうへ目を向けると、思わず声が出た。「あれ、また来たよ」それを聞いて前を歩く知人が振り向いた。「何?何が来た?」「いや、あの前からさ来る人、あの女の人な、昨日もここですれ違ったんだぁ」ぎょっとした知人は前を確認すると振り返り、きっとした表情で言った。「おめ、何しゃべってる!どこにもそんな奴いねでねか」驚いたのは従兄弟のほうだった。前方からは昨日もすれ違った女がこちらへ向かってきているのだ。
田中康弘著『山怪 山人が語る不思議な話』2015 P29-30「見える人と見えない人」より

「夕方近くになって、そこへ草刈りに行くんですよ。するとね、その草っぱらの上のほうで音がするんですよ。コンッコンッって」それは樵が斧を立木に振るう音そのものである。しかしそこに木は無い。「狸だな!って大声で叫ぶと音が止むんです。俺の爺さんもよく山の中で同じような音を聞いたそうですよ」
~中略~
「最近の狸はチェーンソーの真似もするんですよ。斧からチェーンソーに山仕事が変わってきたら、いつのまにか狸もそれを真似るようになってね」山に入ると誰かがすぐ近くで木を切っている。チェーンソーの音なのですぐに分かる。しかし、付近の林に目を向けても誰もいない。その誰もいない林の中からチェーンソーの音だけが響いてくるのである。
田中康弘著『山怪 山人が語る不思議な話』2015 P31-32 「狸は音だけで満足する」より

感想
この本、は怖がらせようとか、そういった雰囲気を感じません。淡々と、取材して得られた話を綴っていく、そして関連する話をつなげていく、そんな構成です。しかし、それ故に後から山に入ったタイミングでふと思い出すのです。「そういえば、あんな話があったなぁ」と。感覚としては、誰かに言われた話をふと思い出したような感覚に近いです。思い出したからと言って怖い思いをするわけではありません。この本の大半は奇妙な話です。しかし、山の中の独特な雰囲気と、記憶によみがえる奇妙な話が目の前の光景とマッチして、「自分が今立っている場所は決して自分が主導権を握れるような場所ではない」という事を強く自覚します。決して怖くなるわけではありませんが、自然を畏れる気持ちが湧いてきます。
もちろん、普段山に入らないような人でも楽しめる本だと思います。例えば、街灯に照らされた公園の茂みの奥の方、何気なく日常に展開されている闇の中、たまたま車で通りかかった森、そういったところに山怪が潜んでいるかもしれないと、想像するだけでゾクゾク出来ると思います。
僕の実体験
僕は幼いころは霊感があったそうですが、現在まったくもってその自負はありません。たまに金縛りにあうようなことはありましたが、金縛りはメカニズムが解明されており、怪奇現象とは思いません。もちろん夜闇は怖いですし、山を一人で歩くのが怖いときもありますが、それは本能的なものだと思っています。スピリチュアルなものを全く信じていないわけではありませんが、日常生活において目に見えないものに恐れを抱くことはほとんどゼロに近いです。しかし、そんな僕でも数回、山で不思議な体験をしたことがあります…。
僕は釣りが趣味で、海釣り川釣りどちらもやります。餌釣りもルアーフィッシングもやります。特にルアーを使っての渓流釣りが好きで、スプーンでトラウトを釣り上げる事にある種のこだわりを持っています。相棒も一緒に釣りに行ってくれますし、釣り好きな後輩に恵まれたこともあり、渓流釣りに行くときは大体2人かそれ以上で釣行します。

それは、いつも通り相棒と二人で渓流釣りをしている時のことでした。ルアーフィッシングというのは、何回かキャストを繰り返すと魚がスレてしまうため、二人でいったとしてもある程度離れた距離で行動します。そして、その声は何の前触れもなく響きました。
「おーーーい」
真後ろから声が聞こえます。それなりに低い声で。誰か呼んだか!?と思い後ろを振り向きますが、20m程後ろで相棒が竿を振っているのみです。相棒が釣り上ってくるのを待ち、「さっき呼んだ?」と尋ねますが、「呼んでないよ」と一言残しまた竿を振り始めます。
「なんだ、気のせいか」と思い、僕も釣りを再開します。耳に入るのは沢のせせらぎと鳥のさえずり、キャストしたルアーが石にカチンと当たる音、どれも心地よい音です。しかし、それらを遮って割るようにまた
「おーー-い」
と真後ろから声がします。男性の声で、左耳の後ろ側から聞こえます。流石にゾッとして、恐る恐る後ろを振り向きますが、やはり何もありません。それからしばらく釣行を続け、相棒とお互い満足したタイミングで終了しました。とくになにか怖い思いをするわけではなく、無事家に着きました。

渓流での釣り中に、後ろから誰かに呼ばれるという経験は、その1回ではなく、後輩と釣りに行った時や、相棒と別の川へ行ったときもありました。今のところ「はーい」と答えたことはありません、「何か呼んだー?」と大声で後ろの後輩に話しかけたことはありますが...。果たしてコレは答えて良いのかダメなのか、声なのか音なのか、気のせいなのか、それはいまだにわかりませんが、答えようという気持ちにはなりません。
まとめ
今回おすすめした『山怪』ですが、感想にて怖くないと書きました。しかし、三章の「タマシイとの邂逅」この章だけは、読んでいて背筋の凍るそんな話もありました…。本記事では内容については殆ど深堀していませんので、ぜひ手に取って読んでみてください。