この記事の下書きをしている間に、朱鞠内湖にてとても痛ましい事故がありました。内容が内容なだけに、全国的に北海道とヒグマに注目が集まり、「駆除をしろ」「人間がクマのテリトリーに侵入したんだ」「山に餌がないから降りてくる」「猟友会はもう限界だ」「クマスプレーは効果がない」など、多様な意見が述べられています。
中にはまったく的外れだったり、論理的でなかったりする意見も見られます。僕も北海道に住みヒグマと関わる一人として、声を上げたいと思う場面もありつつもグッとこらえて静観している日々です。
目次
北海道のヒグマ事情
諸々の話を進める前に、軽く現在のヒグマ事情をおさらいしておきましょう。
まず、ヒグマの生息個体数ですが、令和2年度の計算で推定個体数は11,700頭(中央値)となっています。もちろん推定値なので間違いなくその数生息しているとは言い切れません。ただ、少なくとも6,600頭は生息している。多い場合は19,300頭いると考えることが出来ます。
引用及び参考→「資料2ヒグマ個体数管理について」
それに対し、ヒグマの捕獲数は公式な統計(令和3年度)によると1,000頭を少し超える数となっています。この1,000頭の内訳は、狩猟により捕獲されるクマは45頭、農業被害や生活被害防止を目的とした許可捕獲(いわゆる有害駆除)が986頭、その他学術研究等が数頭となっています。
どこかで資料を目にした記憶があるのですが、有害駆除の多く(たしか8割ほど)は檻罠による捕獲で、銃器による捕獲は多くなかったと思います。
引用及び参考→「令和3年度鳥獣関係統計(北海道版)」
また、令和3年度のヒグマによる人身事故は昭和37年の統計開始以降で最大の9件となりました。
引用及び参考→「ヒグマによる人身事故発生状況」
春グマ駆除とは
北海道でヒグマの話となると、必ずといってもいいほど出てくる「春グマ駆除」というワード。僕もタイトルで使っていますが、まずこれについて解説していきます。
春グマ駆除とは、昭和41年(制度として確立したのがこの年と思われる)から平成2年まで行われた融雪期におけるヒグマの有害駆除を指します。
この時代は、ヒグマは北海道開発における“障害”とみなされ、積極的な捕獲が望まれていました。また、ヒグマの毛皮や胆嚢は非常に高く売れ、ヒグマの狩猟・駆除が生業となり得る時代でした。実際に金毛の毛皮が高く売れた話や、みんなで売り上げを山分けしても十分な収入になったことを、猟友会の先輩方から聞くことが出来ます。
そして、この頃春グマ駆除に従事していたハンターは現在若くて70代前半、本格的に携わっていた人は80代を超えて、既に亡くなってしまった方が殆どです。恐らく、関連制度が出来上がる遥か前からアイヌの方々やマタギによって行われていた春グマ駆除(春グマ猟)ですが、制度化され被害が減少するとともに「ヒグマを保護するべきだ」という主張も強くなり、昭和64年に長らく続いた春グマ駆除制度は終了しました。
渡島半島ので試み
春グマ駆除の終了後、しばらくするとヒグマの個体数は回復し、人身事故や農作物被害が発生するようになります。もともと渡島半島(道南)はヒグマの生息数が多く、対して人口が少ないためにヒグマの被害(農地への出没やデントコーン被害等)が目立つ傾向にあったのだと思います。そこで、平成14年から「春季の管理捕獲」という名称で、追跡が比較的容易な春季に捕獲許可を出し、ヒグマによる問題発生を減少させるという試みを実施しました。
しかし、3年間継続してもヒグマによる被害の減少には至りませんでした。ただ、経験の浅いハンターが、熟練者から知識や技術を学ぶ場として有効であるとの意見が多数あったため、「春季管理捕獲」から「人材育成捕獲」と名称を変えて以降継続して春季の捕獲が行われました。
そして、全道的にヒグマの個体数が増加し、軋轢の発生や農業被害の増加がより深刻になります。これを受けて道はそれまで渡島半島のみを対象としてきたヒグマの管理計画を全道に展開しました。そうして出来上がったのが、人とヒグマのあつれき及び被害の低減と、地域個体群の存続を目標とした「北海道ヒグマ管理計画」です。
もちろん、人材育成捕獲も渡島半島から全道へと対象が拡大しましたが、実施する市町村は少なく、あまり表立って議論されることはありませんでした。
引用及び参考→「これまでの駆除制度」
「人里出没抑制等のための春季管理捕獲」の5W1H
では、本記事のメインテーマである「人里出没抑制等のための春季管理捕獲」について簡単に解説していきます。
What&Why:計画の背景と目的
なぜ「人里出没抑制等のための春季管理捕獲」を実施するのか。その目的は大きく分けて「ヒグマの人里への出没抑制」と「ヒグマ対策に必要な人材の育成」の2つの目的があります。そして、その背景には前述したようなヒグマの市街地出没・被害件数の増加や、ハンターの高齢化・技術継承の必要性等が関わっています。
Who:誰が行うのか
実施する主体は、市町村・北海道・個人の3つの区分があります。市町村や北海道といっても、市職員や道職員が従事するわけではなく、その市町村が普段ヒグマの捕獲許可を発行している狩猟者(多くの場合は猟友会だと思われる)を選定することになります。また、条件を満たせば、個人で構成された狩猟団体も実施主体となることができます。
本制度の目的を鑑みると、従事者はヒグマの捕獲経験のある「熟練者」と、ヒグマに関する知識経験の浅い「初心者」が従事するのが理想です。ただ、そう上手く事が運ぶとも限りませんので、最低2人、個人で申請する場合「1人は前年にヒグマの捕獲許可を受けていること」といった条件が設けられています。
When:いつ行うのか
実施期間は痕跡の追跡が比較的容易な2~5月の残雪期とされています。実際にクマが穴を出るのは3月中旬頃と言われていますので、これは「穴狩り」も含めた期間の設定だと思います。令和5年度の許可の有効期限は最長5月20日までです。
また、「人里出没抑制等のための春季管理捕獲」自体をいつまで行うのか。現状把握している情報では、4か年計画とされておりR5スタートのR8までということになります。
Where:どこで行うのか
実施場所は、基本的に申請した市町村内となりますが、関係者の合意がとれている場合は、隣接市町村と共同での実施も可能となります。ヒグマにとっては行政圏界などまったく関係ない話なので、対策・対応を行っていく上では近隣市町村との協働が欠かせません。しかし、現状近隣市町村(近隣の猟友会)とスムーズな連携がとれる市町村は少ないと予想されます。このあたりは、センシティブな話題になると思いますので以降割愛させていただきます。
本制度の目標は「ヒグマの人里への出没抑制」と「ヒグマ対策に必要な人材の育成」であるということを冒頭で話しましたが、人里への出没を抑制する場合は、人里付近で捕獲を実施するのが望ましいです。ただ、人材育成を行う上ではまったくチャンスのない場所よりは、少しでも足跡が踏めるような場所の方が良いと思いますし、このあたりは実施する市町村の色が濃く出るところではないでしょうか。
ただ、穴グマや親子グマを捕獲する場合は人里周辺(人里周辺の林縁から概ね3~5km)の範囲で捕獲を実施しなくてはなりません。「そんな人里周辺でヒグマが冬眠穴を作るのか?」と疑問を持たれる方も居るかもしれませんが、これについても近々記事にしたいと思います。
How:どのように捕獲するのか
捕獲手法は、通常の有害と異なり銃器(散弾銃・ライフル銃)による捕獲に”限定”されています。檻罠を用いた捕獲が受け身の捕獲とするのであれば、銃器による捕獲は積極的な捕獲と言えるでしょう。
また、例え捕獲までに至らなくても、流しであれ巻き狩りであれ忍び猟であれ、鉄砲を持った人間がヒグマを追うわけですから、警戒心を植え付けることにも有効だと思います。
「人里出没抑制等のための春季管理捕獲」の留意したいポイント
“条件付き”で穴グマ・親子グマの捕獲が認められている
昭和の春グマ駆除はまた別ですが、渡島で行われてきた春季管理捕獲&人材育成捕獲は主にオスを捕獲の対象とし、メスや親子の捕獲は極力行わないようにしてきました。
しかし、今回の「人里出没抑制等のための春季管理捕獲」は人里に隣接した区域(人里周辺の林縁から概ね3~5km以内)であれば、親子グマや穴グマの捕獲が認められています。
地域毎の上限捕獲数が設定されている
引用及び参考→「人里出没抑制等のための春季管理捕獲【概要】」
基本的にメスの方が上限は低く、オスの方が高く設定されているため、この「人里出没抑制等のための春季管理捕獲」をヒグマ根絶政策だと非難するのは的外れでしょう。親子を捕獲し、その子供がメスであった場合、かなり速いペースでメスの捕獲上限に達します。
4年間の試験的な取り組み
そして、この取り組みはあくまで4年間の試験的な取り組みです。捕獲を行っていく中で多数の課題が見つかると思いますし、成果が出ないということも考えられます。しかし、昨今のヒグマの出没状況を鑑みても、ここで試験的にでも制度を展開したことは評価されるべきだと思います。
理想は、人里出没抑制等のための春季管理捕獲を実施した地域で、市街地出没や農作物被害が減ることですが、おそらくその取り組みが結果に反映されるのは2~3年かかるでしょう。そういった意味でも、4年間の期間設定は適切だと思います。
重要な課題。この制度にはインセンティブがない...!!
ここまで、ザックリ制度の解説を行ってきましたが、どうしても避けては通れない大きな課題があります。それはIncentive(行動に対する報酬)が無いことです。
まさに命懸け
今後、クマのことについてもっと掘り下げた記事を書いていきたいとは思いますが、「ヒグマ(ツキノワグマも)を撃つ」という行為、それ自体が命の保証のない危険な行為です。「ヒグマを撃ったら4秒後には目の前に居ると思え」これは僕が師匠から何十回も言われたコトですし、シカは人間に反撃しませんが、ヒグマは命尽きる最後の最後まで反撃の機を伺っています。このまさに“命懸け”の行為に対して、金銭的な報酬も無ければ、毛皮や熊の胆が高く売れる時代でもありません。この状況で、わざわざ残雪期の山に入ってクマを撃ちたいと思う人がどれほどいるでしょうか。
そして、残雪期の雪山自体も雪崩や滑落の命に係わる危険が多いです。実際に経験したから言えることですが、フワフワな雪と違い、ガリガリな氷の上を歩くので、滑りやすく足が抜けやすいです(地面と氷の間に空洞がある)。また、笹がスノーシューやアイゼンに引っかかってこけたり頭上から氷の塊が落ちたりと、想定される危険は山ほどあります。もちろん、そういった不測の事態に備えて準備はしますが、一番安全なのは、そんな時期に山に入らないことですよね。そういった意味でも、報酬がないというのは非常に大きな課題です。
クマは”風当たり”が強すぎる
そして、これも非常に大きな問題…。クマは世間からの風当たりが強すぎます。撃った獲ったという話になれば、そのハンターどころか、許可を出した市町村や道にすら抗議の電話やメールが届きます。それについてここで言及するつもりはありませんが、市街地に居付いたクマを追い払いの上駆除したのに、それをコソコソと隠さなくてはならない。住民を安心させるために公にすることすらままならない。それが、僕が実際に目にしたヒグマ駆除の現状です。
コスト(労力)も大きい
この記事の冒頭で、ヒグマの推定個体数は約12,000頭と紹介しました。対して、エゾシカの推定個体数は690,000頭(中央値)です。エゾシカが多いのかヒグマが少ないのか、それはこの数字では議論できませんが、シカの個体数はヒグマの約57倍。単純に考えると、山でシカを57頭見てやっとクマが1頭見られるということになります。これもまた単純計算ですが、ヒグマの個体数を道内179市町村で割ると1市町村あたり67頭。シカが1市町村あたり3,854頭ですから、ヒグマの数自体がとても多いものではないということがわかります。
そんなヒグマを市街地周辺という狭い範囲で追う訳ですから、歩く距離やかかる時間も段違いです。ましてや雪融けの始まる残雪期、朝はガチガチに固まりつぼ足(何も付けていない足)で歩ける雪面も、昼に太陽が昇るとズボズボと沈むようになり、スノーシューやかんじきが無いと体力をゴッソリと削られます。山スキーはというと、雪が水を含んでベタベタなため、スキーの毛皮に張り付いて余計に足取りを重くします。
また、雪崩や滑落に備えて装備を組むため、どうしても装備が増えてしまいます。こういった総合的なコストに対して、得られる利益が見合っていないですよね。
個人的な意見。僕はどう感じたか
ここまで、極力客観的に制度について解説してきました。基本的には北海道により公表されている資料を基に書き上げているので私的な意見はごく一部になっているハズです…。
ここからは、実際に「人里出没抑制等のための春季管理捕獲」に従事した僕の個人的な見解を述べたいと思います。まず、僕はこの「人里出没抑制等のための春季管理捕獲」という制度に対しては賛成です。
理由はいくつかありますが、ひとつは「クマは賢い動物である」ということ。クマは非常に賢い動物だと僕は思います。そもそもイヌよりも脳が大きいですし、“遊び”も“教育”も行います。基本的に人を避ける一方で、人が無力だと理解すれば積極的に襲うようにもなります。つまり“学習”するわけです。そして、車を日常的に見ながら育ったクマは、車を「無害」なものだと認識し、そのクマに育てられたクマも車に対して警戒心が薄れていると僕は思っています。同様に、家の裏庭を通るクマ、町でゴミ箱を漁るクマ、デントコーン畑に居付くクマ、こういったクマは親の代からその環境に慣れてきたクマである傾向が強いと思います。こういったクマを発生させないためにも、人が市街地周辺の山林に入ってクマを追うと言う行為には「人間は怖い生き物だと認識させる」「自分を追ってくる存在がいることを認識させる」等の一定の効果があると思います。
もちろん、警戒心を植え付けなければならないのに、出会ったクマ全てを駆除していたら何の効果もありません。しかし、たかが人間にそれほどのことが出来るでしょうか?相手は4足歩行で五感も鋭く、山で生まれ育った筋骨隆々のプロフェッショナルです。対して人間は、鉄砲を背負っているだけで道具がなければ雪の上すら満足に歩けない山の中ではとても非力な存在です。実際、足跡を追って追いきれないこともたくさんありましたし、ヒグマの通ったルートを見上げて「こりゃ人間には登れんなぁ」と感じたシーンは多々あります。
そして、僕は許可捕獲(有害駆除)で1000頭近くヒグマを捕殺している現状を良く思っていません。ヒグマの被害に対して罠で対応するということ自体が、少し無理のある話だと思っています。僕の理想を申し上げると、「悪さしたクマだけキッチリ追って仕留める」これが理想ですし、今後そういった対応が必ず必要になってくると思います。ここらへんに関してはまた別の記事で。
ここで述べさせていただきたいのは、「クマを追う」ということが出来る人が、瞬く間に減っていってしまっているということ。春グマ駆除全盛期のレジェンドたちは、もう鉄砲どころか運転免許証すら返納しなくてはならないような年頃です。もちろん、現役の若いハンターでもクマを追って獲っている人はそれなりにいるとは思いますが、多く見積もっても、北海道内に300人は居ないでしょう。また、その人たちも、追って獲るとなると9割は秋から初冬の狩猟期間に獲ることになると思います。このあたりは僕も良く調べていないですしあまり言及できませんが、とにかく「失われゆく技術を次代に引き継ぐ」これを達成するためには今でギリギリの状況だと思います。このギリギリの状況で、春グマを実施したという点は評価できると思います。
まとめ
今回の記事は、真面目に春グマ駆除について書かせてもらいました。最後に述べたいのは、クマの保護管理への風当たりが非常に強いなか、春期(残雪期)に、“全道”で“捕獲許可”を出したこと。上から目線で本当に申し訳ないのですが、とても勇気のいる決断だったと思います。渡島でいくら試験的に実施しても、そこで経験を身に着けた人が全道で活躍できるかといったら話は違うと思いますし、道南・道央・道北・道東、エリアが違えば山も違い、必要となる技術も違います。
そして、“狩猟”ではなく“許可捕獲”として捕獲を実施することにも意味があると思います。狩猟はあくまで趣味ですし、登録さえしてしまえばだれの指示も許可もなく獲物を捕獲することができます。しかし、許可捕獲には報告の義務がありますし、行政にも許可を出した責任があります。僕は駆除と狩猟とではメリハリのつきかたが違うと考えているので、狩猟ではなく駆除と言われた方が気持ち的にもビシッとします。
今後は、実際に「人里出没抑制等のための春季管理捕獲」に従事してどんな景色を見てきたか、何を感じたか、そしてそれを終えて自分の中で何がどう変わったか、そのあたりを記事にしていきたいと思います。それでは、7千文字近い読みにくい記事だったと思いますが、ここまで読んでくださりありがとうございました^^