Hunting 猟記

春にクマを追う【最終章】ヒグマを撃つということ

 ここまで、おおまかに前篇後篇に分けお届けしてきた”春にクマを追う”シリーズ。少しずつ記事を書きあげついにここまでやってきました。気が付けば季節は6月。エゾゼミが鳴き、イタドリが伸び、夏の到来を感じます。今年は各地方でヒグマの目撃情報が相次いでいますね。ただ、僕の住んでる地域はというと、拍子抜けするほど少なかったりします。まぁそんな話は置いておいて、最終章、4000字近い記事になりますが、ぜひ最後まで目を通していただければと思います。よろしくお願いします。

※いつも記事を読んでいただいている方には大変申し訳ないのですが、クマという性質上、事の詳細は伏せて、あくまで心情の変化に焦点を当てて記事を書かせて頂きます。その代わりといっては何ですが、少しでも“リアル”を伝えるため、状況や感情は盛らずに正直に書いていくので、それで大目に見てもらえたらと思います。

初めてクマを撃つ

 3月の中旬から春山を歩き、2回足跡は見たものの、クマに出会えない日々が続きました。雪は融け笹が起き上がり、ヤナギの新芽が吹き、山が新緑に染まっていきます。師匠は「もう十分やったんじゃないか」と半ば諦めモードでしたが、その日は何の前触れもなく訪れました。

ヒグマとの出会い

 4月中旬、河川沿いの林道、その林縁の笹薮に2頭のヒグマが居ました。僕の存在に明らかに気付いていますが、特に気にかける様子はなく、林道に出てゆらゆらと車の前を歩いていきます。やがて林道を外れると、そのままガサガサと笹薮に入り姿をくらましました。おそらくヒグマの8割は、車の存在に気付いた後、ジッと見つめ、やがて藪の中をすっ飛んでいくと思います。しかし、その日出会った2頭は車なんて気にも留めない。そんなクマでした。クマを見失った僕は、そのままゆっくりと走り出し、クマの追跡を開始します。

 藪を割って追うのは危険なので、車から見える範囲でヒグマの動きを予想し、ゆっくりと目で追っていきます。5分ほど進んだでしょうか。トロトロ走っているので、距離としては長い距離ではないと思います。

 川に沿って広がるヨシ原、そこにポツンと生えたクルミの木の下に、2頭のヒグマは居ました。こちらの存在に気付いていますが、特に気にかける様子もなく、地面に落ちた前年のクルミを食べています。師匠とは春グマが始まった当初から「撃てる状況なら撃てる方が撃つ」というルールを共有していました。そして、幸か不幸か、師匠は位置的にかなり離れた場所におり、引き金を引くのは間違いなく自分でした。

 初めて“撃てる状況”でヒグマを見た僕ですが、「怖い」という感情はありませんでした。ただ、車のブレーキを踏むのもままならない程に足が震えていました。足はブレーキに触れては離れてを繰り返し、静かな車内でカタカタカタッと音を立てています。

引き金を引く

 身体の反応に対して、意外と頭は冷静で、バックストップはあるのか、ヒグマの構成は親子なのか、発砲可能エリアなのか、ぐんぐんと思考が巡ります。心臓の鼓動は強く速く、目は見開いて、冷静とは言いつつも自分が興奮状態にあることがしっかりと自覚できました。

 レンジファインダーで距離を測る余裕もあり、計測した値は93m。「確実に止めるにはもっと近づいたほうが良い」と判断した僕は、80m、70mと歩いて距離を詰めていきます。もちろん足元には枯れたヨシが絨毯のように広がっているので、足を踏み込む度にペキパキッと音が鳴ります。視界はヒグマのいるクルミの木に一点集中しており、ニセアカシアの棘が身体のいたるところを傷付けます。

 最終的に66mまで近づいた僕は、文字通り“伏せ撃ち”の形でスコープを覗きます。先台を掴む手にはニセアカシアの棘が刺さり、血が滲んでいるのが見えます。

「絶対に獲れると確信した時以外は引き金を引くな」

「4秒後には目の前に居るからな」

「引けなかったのなら熊撃ちはやめろ。やるもんじゃない」

師匠に言われた言葉が頭の中を反芻します。

 パシィーーーーンッッッ.....!!!乾いた音が響き渡ります。引き金を引くときのためらいの無さに、自分でも驚きます。ドシッと沈んだクマに、もう一頭が駆け寄ります。落ち着いて排莢し、ボルトを押し込み2発目を撃ちます。数秒前と同様に、乾いた音が響き渡ります…。おおげさな表現かもしれませんが、この時は自分の心臓がまるで止まっているようで、身体が静かだった記憶があります。

 しかし、ここからが本当の戦いでした。

焦燥に駆られる

 1頭につき1発、間違いなく着弾し2頭とも地面にバタンッ!!と倒れ込みましたが、そのうち最初に撃った1頭は野太い咆哮を上げ、腕を引きずりながらズルズルと動き始めます。もちろん、初矢で完結できるなんて思っていなかったので次を撃つ準備はしていました。しかし、スコープの中に写る、咆哮を上げ必死に”生”にしがみつくヒグマの姿に頭が真っ白になります…。時間にして3秒程でしょうか、この”たった3秒”が僕の心の余裕をかっさらいます。

 その場から逃げようとするヒグマの姿に焦りを感じると同時に、落ち着いていた呼吸が荒くなります。洪水のように押し寄せる焦りと緊張が、身体を震わせスコープのレチクルがブレます。

「半矢で逃がすわけにはいかない…」

「早く仕留めないと…」

「次で止まらなかったら…」

 頭の中を不安が駆け回ります。そして、焦って撃った一発は当たったのか当たってないのか、一頭目の動きを止めるには至りませんでした。そして、まだ動き続ける一頭目に続いて、僕の心にさらに追い打ちをかけたのが”残弾の少なさ”でした。用意していた弾数は7発。サボットが4発の非鉛スラッグが3発でした。色々な人から「ヒグマはシカより矢に弱い」と聞いていたので一頭につき2発のつもりで準備をしていましたし、サボット弾は1発1000円と財布に痛く、出来るなら止め撃ちは安い非鉛スラッグでやりたいと考えていました。まさに“傲り”でした。

 焦った僕は、弾入れから弾を取り出し装填しますが、それがサボットなのか非鉛スラッグなのか、それすらも認識出来ず、まず確実に止められるであろう2頭目に引き金を引きます。

パシィーーーーンッッ!!

 2頭目は唸る様子もなく、ただ発砲と同時に身体が少し跳ねたように見えました。そして、この発砲音が、頭の中をスッキリとクリアにさせます。落ち着きを取り戻した僕は、位置取りを変更し、まだモゾモゾと動き続ける1頭目に対してもう一度引き金を引きます。

 1頭目の体はもう一度地面に沈み、静けさが辺りを包み込みます...。

決着

 2頭のクマが動かなくなってから、5分程待機します。撃ってすぐ近づかない。これはクマ撃ちの常識ですが、興奮状態にあってもこの言葉が頭に浮かび上がるのは、普段からヒグマの怖さを語ってくれる先輩方のおかげだなと痛感します。

 そして、慎重に近づき生死を確認します。2頭目はかなり早い段階で息を引き取ったようです。そして、必要以上に撃ってしまった1頭目。意識があるのかないのかわかりませんが、まだ頭をフラフラさせています。今度は確実に、後頭部から止め矢をかけました。

 師匠と合流するやいなや、師匠が「おめでとう」と固い握手をしてくれました。やっとやっと、なんとか気を保っていた僕はヘロヘロで、少し涙腺が緩むのを感じました。

ニセアカシアの棘にやられた様子

クマを撃って感じた己の未熟さ

 クマを軽トラに積み込み、帰路につきます。平成8年式のハイゼットは、ウォォォンと甲高い音を鳴らしながら40km、50kmと加速していきます。その運転席で独り、声をあげました。ずっと目標にしていたヒグマ。散弾銃を持って半年、客観的に見ると短い期間かもしれませんが、歩いた道のり、感じた疲労、色々な想いがこみ上げます。しかし、喜びよりもなによりも、己の未熟さに落胆する気持ちが一番大きく残りました。

 シカを撃って、天狗になっていたんだと思います。ネックショットで仕留めることが多く「自分は腕が良い」と勘違いしていたところもあったと思います。傲りや慢心が今回の結果に表れたのだと感じました。クマを獲った僕ですが、”自分は熊撃ちだ”なんて口が裂けても言えません。「あの時もっとこうしていれば…」「ポジションをこっちに取っていたら…」「すべてサボットだったら…」もっと良い選択肢はなかったか、より苦しませずに仕留められる方法はなかったか、”己はまだまだ未熟だ”と考えが止まりません。

 ただ、これも“撃って獲れた”からこその反省で、そもそも自分の命があっただけ、もう十分なのかもしれません。「無差別に罠で獲られるクマを減らしたい」「問題個体だけを追って獲る必要がある」自分が口にしてきた理想と、自分の実力とのギャップに打ちのめされそうになりますが、”これが始まりの一歩だ”と前を向き、そしてこんな濃い経験をさせてくれた2頭のクマに感謝し家路につきます。

解体する、毛皮を送る、クマの目を呑む

 そして、2頭のヒグマを22時半までかかって解体し、ペットシートに包んでいきます。幸運にも連日の暑さがやわらぎ、3日間ほど最高気温10℃以下の日が続いたので、ゆっくりとその後の作業を進めることが出来ました。クマの肉は、猟友会の先輩方と家族に分け、あっという間になくなってしまいました。もちろん、自家用にいくらか取っていたのでそれなりにヒグマ料理は楽しむことができました。

 毛皮を送るというのは、アイヌの”熊送り”ではなく、シンプルに皮屋さんに送るという意味です。毛皮は、鼻や耳を傷付けないように丁寧に剥ぎ取り、しっかりと塩を刷り込みます。あとは皮屋さんに冷蔵便で送って皮の完成を待つのみです。

 そして、師匠がどこから情報を仕入れたかわかりませんが、「アイヌはクマの目がつく(山の中でクマを見つけやすくなる)ように、クマの目を盃に入れて呑むらしいぞ」と教えてくれました。僕はすかさず、師匠もいかがですか?と尋ねますが「僕はやらない」とあっさり断れてしまいました。

 家に盃は無いので、味噌汁用のお椀に鬼殺しを注ぎ1頭目の目玉を入れます。クマの目がつきますようにと願いを込めて、グイッと口に含み飲み込みました。

まとめ

 春にクマを追うシリーズ前篇から始まり、全3篇お付き合いいただきありがとうございました。いつもふざけた文章ばかり書いているので、おふざけ無しの文はなかなか書き辛かったように感じます。また、読む側としても読みづらいところがあったかと思います。そんな中、最後まで読んでくださりありがとうございました。

 これで春にクマを追うシリーズは終了…と言いたいところですが、クマの目を呑んだおかげが、実はもう1つの出会いが…。それはまた後程、特別篇として記事に出来たらと思います。それでは、ありがとうございました!

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