※本記事に批判に対する強い主張や表現はございませんが、おちょくるような発言が含まれます。受けた批判を記事として昇華しようという意図から執筆しておりますが、そういった表現方法が苦手な方は記事を読むのをお控えください。
皆さんこんにちは。今回は少し変わり種。自分に向けて発信された(その可能性が高い)意見に対し、どんなことを主張しているのか、どんなアカウントが発信しているのか、そんなことを超主観的かつちょっとだけ客観的な視点で読み解いていこうと思います。文章量が多くなってしまうことが想定されますので、前編・後篇、もしかすると中編を挟んでのシリーズになるかもしれません。
本当は、批判的な意見を集計・グラフ化して、なにか傾向のようなものがつかめたら面白いなと思っていたのですが、今回集めた意見の総数は20。ちょっとN数が足りないなということで、またの機会に持ち越すこととしました。
目次
批判の対象となった記事
今回批判の対象となったのは、某雑誌のデジタル版。取材依頼が来た時は、関係者各位に結構いじられました。ちなみに、むっちりーのの本名から年齢、出身地まで記載されています。丸裸ですね。(*ノωノ)キャー
記事の内容として僕が主張したのは、
- もともと自分は動物愛護派であったこと。
- 都会に住んでいたこと
- 引き金を引くときは、罪悪感を覚える暇はないということ
- かわいそうという気持ちはわかるが、市民に何かあったら誰も責任がとれないこと
ざっくりと羅列するとこのあたりです。
想定外の文調!むっちりーのは「ふんぞりーの」に
だがしかしですよ、記事本文を読んでいただいた方には伝わると思うのですが、むっちりーのとても“偉そう”なんですよね。ふんぞりーのになってしまっています。実際取材を受けたときは、全然もうちょっとフランクといいますか、笑顔と冗談を交えてヘラヘラ取材に答えていたのですが、記事を読んでみると、なぞの緊迫感が醸し出されています。とくに、「シティボーイ」なんて発言は、たしかに1回は言いましたけども、こんな文調でシティボーイなんて単語使っていないんですよ実際は。「いやぁ~、クマもシティボーイなんすねっ。僕と同じで!(へらへら)」みたいな感じだったんですよ。ここだけは弁解させてほしい!
これは、僕の素性を知らずに読んでいる方からしてみれば、確かに不快です。そりゃ文句の一つや二つ言いたくなります。でもシティボーイいじりだけは本当に傷つきました。記事を引用したポストで「〇〇〇ごときでシティボーイとか草ww」「自分のことシティボーイって言う人まだいるんだ」「言うほど都会か?」等の意見、実際にありました。むしろ批判的な意見よりも刺さりました。
今回取り上げた意見
今回ここで取り上げていく意見は、むっちりーの本人に向けられた可能性が高いと思われる意見になります。自分に向けられているのかどうかの判断は文面からの推測と、僕の氏名及び年齢が記載されている記事を引用してのポスト。またはそれに付随するリプライを抽出しています。別に仕返ししてやろうとかそういう気持ちは一切ないので、アカウント名などは控えさせていただきます。辿り着くのは容易ですが。
むしろ、こんな風に記事にすることを申し訳なく思う気持ちもありますが、SNSという不特定多数の人が目を通すツールで、実名の出ている相手を匿名で批判したので、おあいこということで☆。大丈夫ですよ、こんなニッチなブログ記事、蝶の羽ばたき程の影響しかありませんから。
思い上がるな人間如きが
24歳、まだまだ学ぶ事沢山あると思いますよ… 思い上がるな人間如きが。
(原文ママ)
まずはコチラのご意見。むっちりーのが独自に設定したジャンルは…「強い言葉」です。アイコンはAIイラストのような自画像。普通に綺麗なお姉さんです。アカウント名には犬の絵文字。プロフィールには、「犬・動物・植物が好き」そして「ナチュラリスト」とあります。
プロフィールは絵文字がたくさんで可愛らしいですし、アイコンも素敵で、僕と同じ「犬・動物・植物が好き」ということなので、ぱっと見気が合いそうなんですけど、そういうわけにはいかなかったみたいです。僕もたいがい、その辺に落ちている石で爪をやすったり、石油由来のプラスチック手袋を使わず素手でシカやヒグマを捌いたりなど、ナチュラリストに近い人物だと思っているのですが、記事ではそのような部分は触れていませんでしたので、仕方のないことかもしれません。
どっかの半島や大陸の人達の様だな
……やるかやられるか。自ら望んでその状況に踏み入れたのでしょうに。加害者が被害者面ですか……。どっかの大陸や半島の人達の様だな。熊は被害者でしかない。(原文ママ)
ジャンルは「日本人疑い」です。「里親様、大募集、お待ちしています」という文字が画像としてアイコンに設定されています。アカウント名は屋号でしょうか。この時点で一目瞭然ですが、保護猫の飼養管理と里親募集を行っている方のようです。ブログを書いているようで、プロフィールにリンクが載っています。
ちゃんと読んできましたよ。この方は強い思想と信念があって実際に「保護猫の里親を募集する」という“行動”を起こしている方のようです。僕も強い思想と信念があって“行動”を起こしているので、考え方の違いに伴ってぶつかってしまうのは仕方のないことかもしれませんね。ただ、「どっかの大陸や半島の人達の様だな。」という発言の真意はわかりませんが、純日本人で少し申し訳ないな…。と思いました。以上。
何頭殺したと自慢話してほしくない
熊を追って見つけて殺すスリル、最近のハンターの大半でしょう 独特の宗教観や倫理観を持ってるマタギ猟を行う人とは違うと思う何頭殺したと自慢話してほしくない。(原文ママ)
ジャンルは「言い得て妙」です。その、表現的にはよろしくないんですけど、ちょっと心の底をえぐるような、ギクリと感じさせる、そんなジャンルですね。アイコンは猫の写真。アカウント名にも猫、プロフィールは空白です。
デジタル大辞泉によると、スリルとは「恐怖や極度の期待からくる緊張感」とあります。つまり、クマに対して引き金を引く際にスリルを感じているというのは、的を得ているのです。ちなみに、僕も自分のことをマタギと思っていませんし、アイヌのような独特の宗教観を持っているわけでもありません。なので「独特の宗教観や倫理観を持ってるマタギ猟を行う人とは違うと思う」という発言も、その通りです。
襲われても文句言えない
やるかやられるか?何故その状況になる?明らかに人間が熊の領域にいる!襲われても文句言えない。(原文ママ)
ジャンルは「都会派」です。アイコンはこちらも猫の写真。アカウント名はおそらく猫の名前。プロフィールは空白ですね。
この意見は、「僕」を対象にしているのか「クマの出る地域に住む人」を対象にしているのかで大きく意味は変わってきます。前者であればその通り。真意は不明なのでノータッチ。
元から罪悪感ないタイプかと
元から罪悪感ないタイプかと むしろ高揚や恍惚でしょ。(原文ママ)
こちらのジャンルは「推察」ですね。記事から僕の性格や性質を想像している雰囲気です。アイコンはリスのおもちゃでしょうか。プロフィールには「哺乳類、鳥類、は虫類、両生類、虫、みんな可愛い」とあります。生き物が大好きなんですね。
僕が言った「罪悪感を覚える暇はない」という言葉は、ヒグマをスコープに入れて引き金を引く、その瞬間に罪悪感はないという意味でした。他のハンターの方々がどうかわかりませんが、僕は「罪悪感を持って引き金引くならそもそも撃つな」と思うタイプです。ごめんねと言いながら引き金を引く、そんなシーンは意外と目にしますが、そんなこと考える暇があったら早く的確にヘッドやネックでスパンと仕留めるべきだと思ってしまいます。
完全に自論ですが、迷いがあると狙点はズレます。顎を吹き飛ばしてしまったり、角を吹き飛ばしてしまったり、首にかすったり、そんな射撃をしてしまうときは、8割迷いが原因です。
ただ、射撃が終わって、血抜きをして、息を引き留めたのを確認して。その後の感情は豊かであるべきだと思っています。嬉しい、誇らしい、開放感、そういったポジティブな気持ちがあって当たり前ですし、その一方で、申し訳ない、本当に撃つべきだったのか、撃たなきゃよかった、かわいそう、などのネガティブな気持ちがあってしかるべきだと思います。目の前の命を自分が止めた。その事実に向き合うと、いろんな感情が混ざります。また、これは一度に押し寄せるものでもあれば、数時間後、数日後、数か月後にすっと降りてくるものでもあります。
執筆してて思いますが、自分の文調がわりかしスピリチュアルで、独特な宗教観を持っていると言っても過言ではないのかもしれません。天命を受けたら、信者募集します。ということで、罪悪感はあります。以上。
本当に動物好きは…
本当に動物好きは〇〇〇大学を選択しない。(原文ママ)
ジャンルは「推察」、アイコンはおそらく自撮りです。プロフィールには「動物たちの英雄でいたい」「動物の味方」「人間以外の動物のために生きる」とあります。今更ですがプロフィールには基本的につっこまないようにしています。個人の批判になってしまうので。
そして、この意見についてですが、うーん、そうなのかもしれませんね。“本当の”動物好きって具体的にどんな人たちなのか知りたい気持ちはありますが。
客観的な事実を述べますと、僕の通っていた大学は変人7割、一般人3割でした。これは誉め言葉です。大学とはそういう場所だと思っています。自らの専門性を磨きたい、知らないことを知りたい、知識欲を満たしたい、そういった欲求がなければ、わざわざ高い学費を払って通いません。もちろん、なんとなく進学した人、家業を継ぐまでの人生の夏休み、これからやりたいことを見つけたい人、そんな人達もいました。
決して偏差値は高くありません、大学として有名というほどでもないかと思います、でも「ムチヘビにつく寄生虫が欲しいから、まずムチヘビを入手して飼って死んだら解剖する」「自分の納得する一匹を見つけたいから、膨大な時間とお金を使って一種類の虫を採集し続ける」「野生のオオカミを見たいからモンゴルに3カ月滞在する」こんな人たちがゴロゴロいます。もっと特殊な人達もゴロンゴロンいます。むっちりーのなんてそんなライオンの群れの中に居たら、可愛い可愛いマンチカンですよ。
野生動物や植物、自然環境だけでなく、獣医師の学部も、動物看護士の学部もありました。生き物に対して、これだけの時間とお金と労力を注ぎこめる人達が“嘘の”動物好きなら、本当の動物好きとはいったい何なのか。ただ、生き物のことを生業にして、お金を稼ごうとする人たちのことを動物好きではないと言うのであれば、大学に通っている人たちは動物好きではないのかもしれません。なんせ大好きな生き物を使ってお金を得ようとしているのですから。僕も同じです。
まるで少年兵のように
やらなければやられる、殺すのは正義、こうやって殺しを正当化するように洗脳されていく。 まるで少年兵のように・・・。(原文ママ)
ジャンルは「推察」、「ははーん、こいつは殺すことが正義だと洗脳されたな??」と、思っていることでしょう。ちょっとポエミーなのが趣あります。アイコンはインコの画像で、プロフィールには「熊森協会会員」「動物差別が嫌い」とあります。過去のポストを読んでいったらもうお腹いっぱいになってしまいました。人間活動によって野生動物が数を減らしているという主張は共感できます。事実ですし。以上。
集中力が切れてしまうので続編へ
ここまでに、約7件の意見を取り上げましたが、もう4800文字になってしまって、むっちりーのの集中力も限界を迎えているので、一旦ここで切らせてもらいます。
「駆除と批判」の構図
晒すような形で取り上げていることに、否定的な意見を持つ方もいらっしゃるかもしれません。しかし、僕はなにも、叩かれた分だけ叩きたいとか、そういったことを行動原理にしているわけではないのです。「駆除と批判」という構図は、この業界と切っても切り離せません。でも、こういった批判に対して、第三者がモノ申したら、ちょっと違うじゃないですか。こんなこと言ったら、お前何様だよとなりそうですが…。
よく「あなたたち保護派は、自分に危害のない安全圏から批判をして、クマが出る地域に住む人たちの気持ちを考えろよ!」って意見を目にするかと思います。でもこの意見って、地域に住む人、もしくはクマの駆除の関係者が口にするべきことですよね。僕は最近、「第三者の保護派」vs「第三者の保護反対派」の構図が増えているのが、とても気がかりです。普段から鳥獣の駆除に携わっているハンターや、動物の保護を行っている活動家、被害を受けたスーパーマーケットの関係者や、獣害に悩む自治体職員、こういった人々の間で意見の衝突が起こるのはやむを得ないですが、それは昇華させれば“議論”になりますよね。
自分だからこそできる表現
もちろん、第三者同士の意見に意味がないとは言いません。世論が制度を変えますし、大衆の意見というのは絶大なパワーを持ちます。故に、恐ろしいですよね。つまるところ、何が言いたいかと言いますと、僕の持つ価値観では、僕に対して向けられた批判は、僕と批判した本人だけがこねくり回して良いのなのです。もちろん、肯定的な意見をくださった方々も居て、一人一人その言葉を同じように記事に取り上げていきたいぐらいではあるのですが。そんなことしたら自分のことが痛すぎて、表を歩けません。なので、批判的な意見を自分で取り上げることは、自分にしかできない特別なことなのです。そういう性格なんです。
あと、こうしてみると意外と批判を受けても傷ついたりショックを受けたりしていないんだなということに気付かされます。いや、リアルタイムで見たときは流石に不快でしたが。みんな自分が正しいと信じて、表現してるだけなんだなぁ…と。気持ちはわからんでもないな…と。
ワォ!むっちりーの寛容!!そんなんじゃいかんよう!!ってね。
みんな何かに一生懸命になることで、心のヒマを埋めているんですよね。ヒマって辛いですから。
まとめ
何はともあれ、もうすぐ6000文字です。いい加減このあたりで切り上げましょう。皆様なにか思ったところやご意見ありましたら、ジャンジャカ問い合わせしてください。ブログに記載していいものなら公表しますし、あくまで個人間のやり取りが良いといことであればムンムンの懐に収めさせて頂くので。