皆さんこんにちは。この記事を執筆しているのは2024年の12月。軽トラに別れを告げたのが2023年の9月なので、もう1年以上も前の話になります。記事を書くにあたって、写真を整理したり、出来事を思い出したり、そんなことをしていると、自然と目からオイルが滲みます。そう、最後の瞬間まで山を走ったハイゼットのように…。
しばらく、軽トラと僕の大して中身のないエピソードが続くので、なぜ壊れたかを知りたい人は前半飛ばしてください。
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目次
軽トラとの出会い、そして絆
春風吹きすさぶ田んぼの傍らで
彼と僕の出会いは、春風吹きすさぶ田んぼ道。まだ雪も溶け切っていない3月…か4月か…そのあたりでした。なぜ僕が田んぼに突っ立っているか、想像力豊かな皆さんなら既に察しがついていると思いますが、闇バイトと対になる存在、“農業バイト”に来ていたのです。
まるで白米のようなカラーに水平に流れる瞳、ちょっと凹んだボディがアクセント。荷台に赤いフレームを載せ、青々とした稲の苗をひたすらに運んでいました。もちろん、僕もバイトとして働いているわけで、運転する機会は何度もありました。今でも覚えています。初めて乗った時のあの感覚…。
ホコリくさ!背中直角!
中は狭いしホコリクサい。シートは破けていて、クラッチに繊細さが無く、シフトノブもカコカコとなんとなくやる気のない入り具合。バイト中ですし、自分の身体も汚れているので大して気になりませんでしたが、おろしたてのスーツを着ていたならば乗ったときの顔は引きつっていたでしょう。初年度登録は平成7年、僕より年上のその車は、重たい稲の苗を載せ(本当に重たい)、何度も何度も田んぼとビニールハウスを往復しました。
転機
5月のとある日曜日、猟友会のクレー射撃を見学していた僕に、一本の電話が入ります。「むっちりーの、お前軽トラ欲しがってたべ?今度新車で軽トラ買うことにしたからよ、持ってくか?」。そう、バイトをしていた農家さんからの電話だったのです。農作業にしか使っていないため、平成7年から走った距離はたったの6万キロ。夏場の作業も多いため、後付けでエアコンまで付けたとのこと。ここから、僕と軽トラ1年半に及ぶ「ドキドキ!?一緒に死線を乗り越えよう☆汗と血と油にまみれた500日の物語」が始まるのでした。
レッツDIY、白いボディをツートンに
無料で軽トラを貰ったむっちりーの、お金を払うと言いましたが断られてしまったので、お礼にワインやら何やら用意し、名義変更やその他諸々あっち行ってこっち行って手続きを済ませました。そして納車の日。我が家(アパート)の駐車場に納車された軽トラを見て、思わず胸が高鳴ります。ようこそマイ狩猟車!一体どんな風にカスタムしていこうか!と。
そして、いきなり始めた作業が全塗装。しかも人生初めての塗装。一人で。と言っても、便利な時代です。YouTubeで少し調べれば全塗装のやり方からパーツの外し方まで、大抵のことは載っています。先人に感謝。話はそれますが、僕の座右の銘は「巨人の方の上に立つ」です。僕も巨人の肩の角質になれるように頑張りたいと思います。
とにかく、まずはサンドペーパーやなんかで足付けして、塗料が付いたら嫌な部分にマスキングしていきます。そして用意したタカラ塗料の水性塗料とホームセンターのやっすい刷毛で、さっそく車体を塗っていきます。
朝から晩まで塗っては乾くのを待って、塗っては乾くのを待って、3度塗りを終えた頃にはあたりはすっかり真っ暗に。そして塗り終えた車体がコチラです。
狩猟用にハードカーゴキャリアを
そして、あらかじめ注文していたハードカーゴキャリア組み立て、荷台に設置します。一人で。これまた大変な作業でしたね。むっちりーのはこの時初めて「素人でも鉄に穴を開けられる」ということを知りました。
超えた死線は数知れず
こう思い返してみると、ほんとに、たくさんの苦難を一緒に乗り越えてきました。苦難というか、何事にも敏感な今の時代だと「軽トラ虐待だ!!」と非難されてもおかしくありません。
脱輪、パンク、スタックの嵐
1年半の間で、もうほんとに嫌になるくらいの脱輪、パンク、スタックを経験しました。そもそも走る道が段差やぬかるみが酷いのと、タイヤが小さく、最低地上高もそこまで高くなく、運転がアグレッシブというのが相まって、月に2回はスタックしてました。おかげさまで、スタックや脱輪に対する技術経験をかなーーーり身につけることができましたし、色々なスタック対策グッズを試したのでそのレビュー記事を書くこともできます。
懐かしいですね、蚊が飛び交う夏の夕暮れに、汗をダバダバ流しながらチルホールで引っ張ったあの日が。電波圏外で一人心細くタイヤ交換したあの夜が。
サイドブレーキの引き忘れも…
5速のマニュアルトランスミッションだった軽トラ。サイドブレーキを引き忘れて無人で走っていったこともありました。あの時は本当に焦りました。農道から雑種地の畑に横転せずに落っこちてくれたので、無事道に戻ることができましたが、夏なのにとても肝が冷えた記憶があります。
ドリフトも…
あの時は、ちょろQのように山を走り回っていたので、登りも下りもウォンウォン言いながら土埃を巻きあげていました。パートタイムなので、四駆に入れてない時はFR。林道下りのカーブでドリフトした時は本当に怖かったです。横転しなくてよかった。
その時は突然に…ではなく、兆候はあった
もしかすると、勘の良い読者の方は既にお気づきかもしれません。「これ、むっちりーのの乗り方が悪いんじゃないの?」と。僕自身、思い返してみると、ちょっと乱暴だったかな?と反省する部分があります。後の祭りですが、兆候もあったんですね。
兆候1.オイル警告灯が点くように
いつも通り山を爆走していたある日、登ったり下りたり、グワングワン車が揺られるタイミングで、チラッチラッとオイル警告灯がつくようになりました。5000km毎にオイル交換はしていたのですが、そこからは頻繁にオイルを足しながら走るように。「古い車だっからこんなもんかな?」と思い、大して深刻にとらえていませんでした。
兆候2.エンジンがかかりにくくなる
記憶が曖昧で申し訳ないのですが、たしか、エンジンが上手くかからなくなったような気がします。セルは回るのですがドゥルルルンッとエンジンがかかるまでが長くなったような、そんな気がします。
兆候3.エンジンが勝手に止まるようになる
そして、いよいよ山の中で止まるようになります。具体的には、カーブを曲がる時に10km/hくらいまで減速すると、グッグッグッと挙動がカクカクするようになり、そのままプスン…とエンジンが止まるようになりました。エンジンもなかなかかからなくなり、5分ほど待ってみるとかかる。または車を揺するとかかる。そんな状況でした。
車屋には、相談していましたが、むっちりーの本人が事態を深刻にとらえていなかったため、相談レベルで止まっていました。
廃車を決めた日
その日もいつものようにスタック
今でもハッキリ覚えています。その日も、仕事の前に山を一走りして、一人で盛大に沼地にハマっていました。山には林道の他に、林内作業用の作業道も多く、俗にいうブル道もたくさんあります。むっちりーの冒険心が強いので、まだ見たことのない景色を求め、ヒョイッとそういうところ入ってしまうんですね。そしてハマる。電波圏外で。
いつものように、牽引道具を用意し、スタックヘルパーを入れて、チルホールで引っ張って、なんとか脱出したむっちりーの。しかし、山から街に降りるまで、何回もエンジンが止まるようになります。
街でもエンジンが止まるように
今までは、山で低速トロトロの状態になると止まるだけでした。しかし、症状が悪化したのか、街中の一時停止標識でもエンジンが止まるようになってしまいました。あの日はザーザー降りの雨の日で、カレー屋とスタンドの交差点、そこの一時停止。いつも通りクラッチを踏んで一時停止をして、1速に入れてクラッチをつないで走りだそうとしたその時、やはりグッグッグッと挙動がおかしくなり、交差点の中心でエンジンが止まってしまいました。
慌ててニュートラルに入れ、軽トラから飛び降りて、フロントピラーを手で押して車を前に出します。ダバダバに濡れながら、軽トラを押しつつハンドルを操作して端に寄せるむっちりーの。幸い他の車両は居ませんでしたが、もうこの車に乗るわけにはいかないと思い、そのまま車屋へ直行します。
原因はエンジンの焼き付き
ある程度、車の知識がある方ならもう察していらっしゃると思いますが、車屋さんの診断の結果、軽トラのエンジンが止まるようになった原因は“エンジンの焼き付き”。ほとんどエンジンオイルもなくなっていたようです。オイル警告灯が点かないまま、オイルをどんどん食ってしまい、最終的にエンジンオイルがほとんどない状態で走っていたため、ピストンとシリンダーが焼き付いてしまったと。
そして、エンジンオイルを食っていた原因は、急な坂を低速ギアの高回転で登ったり、スタックを繰り返して下回りをドンドコぶつけたり、本来軽トラには頻繁にかからないであろう負荷を、日常的にかけていたからではないかと言われました。
そこに拍車をかけたのが、オイルセンサーの故障。本来オイル警告灯が点くはずのオイル量でも、オイル警告灯が点かなかったためそのまま無理をさせてしまったと。時々オイルをつぎ足しながら走ってたとは言え、素人のやることなので頻度や確認方法が適正ではなかったのだと思います。
エンジン載せ替えという選択肢
車屋さんからの提案は、廃車にするかエンジンを載せ変えるか。エンジンを載せ変えるといっても、15万円程ととりわけ高額なわけではありません。しかし、むっちりーのは軽トラで猟を続けていくことに、限界を感じていました。といいますか、自分のスタイルと軽トラの相性が悪いということに気付いていました。そこで自分のスタイルを軽トラに合わせられるような男なら、きっともっとうまくいった人間関係もあったでしょう。しかし、バーの手相占いで「あんた、きかないね(きかない=北海道弁でやんちゃ、わんぱく、強情、頑固)」と言われてしまうほど“きかんぼう”なのがむっちりーの。
「俺は俺のスタイルを曲げられネェ!!」と、即決で軽トラの廃車を選んだのでした。軽薄!薄情者!冷血漢!無情者!薄恩人!
ハードカーゴキャリアはジモ〇ィーで出品
そうと決まれば行動が早いのがむっちりーの。早速ジモ〇ィーで荷台に載せていたハードカーゴキャリアを3万円で出品。即座に買い取り手が決まり、一緒にハードカーゴキャリアを取り外し、無事引き取られていきました。
遂にドナドナ、さらば軽トラ
そして、軽トラは車屋さんが無料で廃車にしてくれるとのことで、そのままむっちりーのとの別れを交わすことになりました。ありがとう軽トラ。初めてシカを積んだのも、初めてクマを積んだのも、あなたの荷台でした。初めてシートベルトで切符を切られたのも。それから、いろんな景色を見て、いろんな苦労を味わって、いろんな人と出会って、いろんな異臭がして、いろんな色が付いていて。本当にありがとう。
むっちりーのの反省
軽トラを譲ってくれた農家さんに、「自分の乗り方が悪く、エンジン焼き付きで廃車にしてしまいました。」と一報を入れたむっちりーの。農家さんも「あんたが頑張ってるの知ってるから、別になんでもねえよ。ケガが無くてよかったな。」と…。
実はむっちりーの、高校生時代にディーゼルエンジン分解・組み立て実習などをやったことあるのですが、ただそれだけで、自動車に関してはまったくの素人です。なので「まずは車の仕組みを理解しよう!」と思い立ち『ダイナミック図解 自動車のしくみパーフェクト事典 第2版』を買いました。普通に読んでいて面白かったです。そして、今では自分の乗る車がどんな特性を持って、どんな不具合が生じているのか、極力把握するように努めています。
次の狩猟車は…
そんなこんなで、軽トラを手放したむっちりーの。次の猟車はどうするか。自分のスタイルにはやっぱりラダーフレームで、トルクがあって、ピックアップである必要がある!と決心し、ハイラックスの購入に向け動き出します。
しかし、ハイラックスの購入も紆余曲折、いろいろあっての現在で、ハイラックスが納車されるまでは、ヒッチキャリア付きのジムニーを借りて駆除を行っていました。「すいません、軽トラ壊れたのでジムニー貸してください」といって貸してくれる人が居る。本当にありがたいことです。次の記事は何を書くかまだ決めていませんが、近いうちに車シリーズを追加しようと思っています。ありがとうございました。